ついに西片さんにもらった焼酎を開けた。
「甕ん中(かめんちゅう)」という名で、風貌からなかなか開封できないでいた。
ブランデー、ウィスキーと違って、焼酎はうまいまずいがわからない。
その酒の個性が自分に合うかだと思っていた。
この酒は、少し香りが強い。癖のない上品な味がした。
こういったものをうまい焼酎というのかもしれない。
テレビで、たけしの売れない浅草時代をやっていた。
いろんなエピソードをおもしろく見たが、それぐらいのことは私の廻りにごろごろある。
大学の1年先輩で河西がいる。
冬でも半袖の茶色のポロシャツで、薄手の赤いジャンパーをいつも着ていた。
同級生の細川はカレーライスをぐちゃぐちゃにして食う奴だったが、
「少し残せ。俺に喰わせろ。」……。
河西は学生時代から競馬をやっていた。
日曜日の夕方に返すという約束で、私から5000円をもっていった。
夕方アパートに帰ってみると、机の上にしわくちゃの500円札とメモが置いてあり、
「丹野。人までか、馬までも信じられなくなった。」……。
またある時は、「丹野。大事な決定は”判断”してはいけない。”直感”で決めるのだ。
直感こそ自分の存在なんだ。」……。
相当負けたのだろう。
競馬に勝つと大体寿司をご馳走してくれた。
中野駅近くの「磯寿司」である。
54巻も食って、「俺は不幸だ。生まれて満腹感を味わった事が一度もない。」……。
河西は2000年にガンで死んだ。
葬儀のとき、お姉さんから言われた。
「秀幸からの伝言です。”俺が死んだらパァーっとやってくれ”」
まったく彼らしい。
私にしてみれば、「金くらい置いていけ」だ。
河西のことは今でも時々頭をよぎる。
竹中工務店に勤務していたが、会社が終わったらKUTで社長をやるつもりだったはずである。
自分に正直で素敵な奴だった。
河西に関してはいくらでもこういった話があるが、キリがないので”続く”としよう。
先日、友人の美礼ちゃんに遅い年賀状をもらった。
30日にミレンダ荘へ行って正月を過ごすとのことだった。
ミレンダ荘とは、20数年前に私が設計した、岩手県八幡平にある彼女の別荘である。
61才で運転免許をとって、別荘と東京を車で行き来しているという。
東京生まれの東京育ちが雪の多い厳寒の岩手の山で過ごすこと自体おどろきだが、
「車は四駆なの?」と聞いたら、「四駆って何?私の車はワーゲンよ」ときた。
ミレンダ荘は、設計料はタダでいいから、たまには使わせてということで作った。
10年位前に増築と風呂の改修を行った時を最後に行っていない。
ヒバの風呂がすごい。これも大工の伊藤さんが作ったとのこと。
「伊藤さん、お金ちゃんともらったの?」の問いに、
「私、美礼さんのファンですから。」と。
伊藤さんも今は寝こみがちらしい。
美礼ちゃんは感性豊かな、本当に自由で魅力的な女性である。
若いときと変わらない、いや、感性はより進化しているように見える。
去年、庭にピザを焼く釜をつくったとのこと。
今年久しぶりに行ってみよう。
時を同じくして、マドリードにいる幼馴染の均(通称ペケ)から手紙が届いた。
11月に日本に来た時のお礼の手紙だった。
ペケは美礼ちゃんの元カレである。
40年位前、4.5帖のペケのアパートで3人で毎週月曜夕方から必ず、鍋をつついていた。
それ以来の友人ということになる。
ペケは26才位のときに、「日本は自分に合わない。スペインに行く。」と言って
マドリードに永住している。
彼は、大学2年のとき休学して2年間、ヨーロッパ,南米,北米と、世界を放浪した経験を持つ。
人に限らず、いろいろな事に出会いがある。
その”出会い”が今の自分を形成していると言っても過言ではない。
ただ、すばらしい出会いは、本人が”素直”でなければ出会いにならない。
河西も美礼ちゃんもペケも、本質的に本当に素直な人間である。
:tanno: