7月のこと

あっという間にもうすぐ盆である。

時の経つのが早い。

今年の前半は、ほとんど休みをとらなかった。

古い友人にバンコクに1週間ゴルフに行こうと誘われたが、固辞した。

「今しか遊べないよ」彼は20年前から言っている。

彼曰く「丹野さんは毎日が遊びみたいなもんだからな。」

 

遊びじゃない。

 

ただ、仕事は全く苦にならない。

 

 

――7月中旬。

朝の3時まで飲んだ。

最近ではほとんど12時前でやめている。

ひどい体調で次の朝、名古屋に向かった。

 

名古屋駅より地下鉄で30分。

八事駅から徒歩5分のところに八勝館八事店がある。

門を入り細い玉砂利を踏みながら玄関に向かうと若女将が迎えてくれた。

「先に庭を案内しましょうか。」

適度な傾斜地に建てられたこの建物は当然庭も程よい起伏があり

定着したコケが年代を感じさせる。

相当数のモミジが華奢な数寄屋になじみ、御幸の間、残月の間、松の間、梅の間を

外から見ながらの散策はまさに非日常であり、小宇宙といえる。

「秋の紅葉はとても美しいですよ。」

 

梅の間に通された。

築100年位だが古さは感じない。

大切に維持された木造建築はすごい。

魯山人がよく使った部屋とのこと。

入口に魯山人作の行燈が置いてあり、中に入ると先程歩いた庭越しに御幸の間が目に入ってくる。

 

食事の後、「建物をご覧になりますか。」

御幸の間、残月の間を案内してくれた。

堀口捨己の1950年頃の作品である。

平面図、写真からではわからない非常に多様な空間である。

のびのびとした解放感のある空間構成は、実物を見て初めて感じられた事である。

捨己55才頃の作品で、この作品の中に大胆さと捨己の自由な感性がきらきら輝いていて

只々、よくつくれるものだと感心させられる。

 

となりの残月の間は、これ以上に写真で見るのとは大違い。

プロポーションが全く違っていた。

よくまぁこれほど自由に自分の感性を信じて設計できるものだと思うが、簡単ではない。

試行錯誤をしながら自分と完成する建物を想像し、

細部まで見切っていく空間が体に定着しない限り、前に進まない。

間違いなく戦後日本の代表的な建築である。

 

その後、玄関脇の待合室で女将と話をした。

相当手をかけて維持しているとの事。

これも日常なんだろう。

三溪園に一度行ってみたいとの事だった。

(御幸の間の天井が三溪園臨春閣からの由来といわれている。)

 

 

テーブルの上に灰皿とマッチが置かれてあり、

一服吸って「ス――」っと緊張感が解かれた気がした。

 

 

いい時間。

いい出会いだった。

 

 

明日は伊勢に行く。

 

 

:Tanno: