以前から見たいと思ってた三養荘に泊まった。
村野藤吾90過ぎの作品である。新高輪フプリンスが多分80代の仕事。と思うけど
そんな高齢で気持が続くのか甚だ疑問。
佳水園は京都に行くとだいたい宿が都ホテルなので何度も見ている。
三養荘は普段は高くてとても泊まる気がしない。
ただただGOtoキャンペーンのおかげである。通された部屋は『篝火』。100平米位はあるスイート・?。
奥の間が10畳、次の間が6畳、次が8畳。の三間続き。
縁側として幅一軒で7軒位の長さで庭側が木製サッシ、部屋側が障子。
三間続きの和室、約7軒の縁側。壮観であるが違和感はない。
100平米も、そんなに広いとは感じない。
中廊下がありそれにお化粧室、洗面室風呂場、トイレが配されている。
プラン、空間の構成、各プロポーション、材料の選定、他、他、他全く破綻が無い。
誰かが言ってた。『足すことも引く事もできない。それが芸術』なんだろう。
より、細く、低く、薄く、弱く、華奢に、・・・・・。
佳水園もそうだが、村野藤吾の数寄屋に共通している。
強さは感じない。ただ、それらの要素、主張しない材料の選定、注意深く練られた納まり、他、他。
これらが一つになった時、微動だにしない建物に対する理念を感じる
これが村野藤吾の 数寄屋。全てを弱く華奢に作り総体として主張の強い建物になる。
詫び、錆び。がよく言われるが『弱さの強さ』?を言おうとしいる。
村野藤吾の数寄家には、空間を作る事において強い理念、思想が感じられ
それを実現するために確かな手法を身に付けたんだろう。
ただ、手法は手法であって本質とは違う。
『吹けば飛ぶような紙細工』その中に詫び錆びもそうたがそれとは別に強い『華やかさ』をも感じる。
八勝館もそうだし、和風建築は『華やかさ』が基本にある。
何年か前の佳水園以来の村野建築。90を過ぎた建築家の仕事。全く年を感じさせない。
秘めたエネルギーが隅々まで行き渡っている。弱さ、華奢の中に『怖さ』を感じた。
多分、極めた人が持つ得体の知れない奥深しさ。かもしれない。
着いてビールを飲み、その後大浴場といつも決まっている。
浴場に行ってみると程よい広さの内湯をガラス越しに露天風呂がL字型に配されている。
感じる事は、デザイン、構成の『うまさ』は当然の事だが、感心するのは、全てに言える事だが
風呂に限らず『平面的、ボリーム的』にスケール感の的確さにほとほと感心せずにいられない。
村野藤吾の『紙細工』的数寄屋 。築30数年、あと50年経ってもこのままで古くなる事は無いだろう。
体に無数の手法が染み付いている。自分の理念、思想をどう表現しようか。
自分の感性を極限まで引き出す。全ての空間、納まりが体に定着している。
おこがましいが『名建築』^_^
:tanno: